食糧危機の時代到来を予見
理想のチーズを追求し、世界を駆ける
「幼い頃、我が家の冷蔵庫の中はフランス産のチーズでいつも溢れんばかりでした。外資系航空会社に整備士として勤務していた父が、客に出す予定だったチーズの余剰分を廃棄される前に度々持ち帰ってきていたのです。本物の味に触れることで、私の舌=味覚もかなり鍛えられました(笑)。
食への関心が人一倍強かった私ですが高校生の頃、新聞のコラムや本に書かれていたある記事に愕然としました。今後、世界中でエネルギーは枯渇し、災害が多発、さらに気候変動や中国の人口爆発などを契機に、将来的に食糧危機の時代が訪れるのは避けられないだろう、と。その他にも、日本の食料自給率は約4割以下であること、また食品添加物による長期的な健康への影響が懸念される、など…世界と日本の食に関するセンセーショナルな未来予測が描かれており、将来の進路に悩んでいた私に大きな衝撃を与えました。食を通して、何か社会のために役立つ仕事がしたい!最終的に辿り着いた目標が、私の食の原点ともいえるチーズという食べ物をつくる人になる、ということでした」
原料は循環型酪農で調達 「菌」にも独自のこだわりが
千葉県大多喜町。東京から車で約1時間半の山間の集落に「チーズ工房【千】s e n 」が佇む。建物は築約 1 2 0 年の古民家をベースに、友人の大工と柴田さん自身が丁寧に改装。 2 0 1 4 年に開業した。工房の内装はD I Y仕上げ。無垢材の天井、壁に採取した蜜蝋を塗るなど、美味しいチーズ作りに欠かせない微生物にとって心地よい環境を目指した。
チーズの主原料である牛乳は地 元いすみ市の牧場で採れたものを使用。牛の飼料は酒粕、みりん粕、しょうゆ粕、玄米、米サイレージ、トウモロコシサイレージなど副産物の無い、環境負荷の少ないもの だけを使っている。これらは地域と連携した「循環型酪農」により可能になった。さらに、チーズ作りの決め手となる「菌」には独自のこだわりがあるという。
「乳酸菌と酵母を組み合わせた日本の菌を使用します。私が長年研究を重ね、徹底的に練り上げた独自の調合比を用いて、完全なオリジナルチーズを目指しています。通常、日本でチーズを作る際には フランスなど海外から輸入した菌を使います。でも私は発酵の文化 が歴史的にも成熟している日本を、チーズを通じて世界へ発信したい。とはいえ、過去にチーズ作りに関 するあらゆる経験を積んできたも のの、理想の菌を自分の手でつくりだすには菌を操作するための学術的な専門知識が必要でした。そこで2 0 1 1 年から8年間、木更津にある検査施設で派遣業務の仕事に就くことに。心ゆくまで微生物の勉強に没頭することができました。ここでの経験と研究をチーズ作りに役立てると同時に、開業後の現在も当社のチーズ用の菌はここで購入しています」
その食品としての「完全無欠性」ゆえに「人類最古の食品」のひとつと呼ばれるチーズ。発酵食品であるため保存がきくうえ栄養価が高く、身体への負荷が低い(毎日30グラム食べ続けても影響が無い)。ひと口で食べられる携帯性も魅力だ。日本では殺菌に関 する法規制の縛りもあり、食品添加物入りのチーズも少なくないが、これらを使わないチーズならば未来を生きる子どもたちに安心を届 けられる、と考えた。しかし、その後に歩んだ道のりは波乱万丈の連続。柴田さんは東京農業大学・生物産業学部、網走にある北海道オホーツクキャンパスへ進学。ところが大学3年時に地元企業の雪印が不祥事を起こし、工場が相次いで閉鎖される事態に…。「卒業後はチーズ製造に携われる大企業の社員になる」というビジョンだったが、キャリアの方向転換を迫られたのだった。
歩んだ波乱万丈の道のり 北海道〜フランスでの修業
「やむを得ず、チーズ職人として働くために卒業後、道内30か所近くのチーズ工房を訪ね歩きました。でもなかなか雇われ先が見つからない。最後に拾ってくれたのが、十勝にある共働学舎新得農場という福祉施設でした。住み込みの見 習い社員からスタートという条件で、朝5時から夕方5時まで現場作業、夜は10時まで配達や事務などを必死でこなしました。当時、チーズに関して大学で詳しく履修して入社した社員は私だけ。一方、牧場を経営する家庭から出向して来た若い社員たちはみな修行後は家業に戻る人がほとんどでした。地盤も資本力も無い自分。職人として生き残るためにはここで技術と知識を習得しておかなければ、と。幸いバスケとスノボで鍛え体力と根性には自信がありましたので、奮起しましたね笑)。約1年後、同社のチーズが世界コンクールに出品されるのですが、私が所属していたグループがつくったチーズが金賞を獲得したのです。私も授賞式に参加するためスイスへ同行。そのとき、いつか自分自身の手で賞を取ってみたい、と。この受賞は私にとって励みになりましたね」
同社での勤務を約2年半で終えた柴田さん。今度は「本場ヨーロッパのチーズ業界を見てみよう」と現地フランスの工房で修行することを決意した。WW O O F のファームステイ制度を活用し、ワーキングホリデー・ビザで計4軒の酪農家をまわった。家族経営の酪農家が経営や販売、マーケティング戦略をどう行っているか?肌で感じて彼らのノウハウを会得したい。帰国後日本とフランス両 国での知識と経験を携えて、日本で再チャレンジすべく再び北海道のチーズ工房の扉をノックするも、その輝かしい経歴が仇となり、葛藤に苦しんだという。
「自分自身が心から満足できる就職先が無くて…。止む無く母校の教授に相談したところ、学生相手に世界で学んだ知見を披露して欲しい、と大学の副手に推薦されました。しかしそれから1年後の2 0 0 9 年、父が病に倒れたと知り千葉(富里)へ帰ることに」帰郷後は父親をサポートしつつ、南房総のチーズ産地に実家から足繁く通い、現地とのリレーションを深めていった。看病がいち段落した 2 0 1 1 年、南房総へ移住。ここで先述の「菌」の研究に打ち込むための場所を獲得した柴田さんは「日本発、世界へ向けたオリジナルチーズ」の夢へ向けて、最終コーナーを駆け始めた。
社会貢献活動への挑戦
現在の工房兼店舗は借家物件。チーズづくりに最適な工房の施設環境、多くの来店客を魅了してやまない古民家店舗の風情ある内外装が、期限付きで失われてしまう可能性があるというのだ。その一方で「チーズ工房【千】s e n 」は 2 0 2 1 年に法人化を果たした。会社の長期的なビジョンとして、新たな分野への展開を視野に入れて行動を開始していると、柴田さんは語る。
そのひとつが新製品「ホエイド レッシング」だ。製造工程で通常、大量に廃棄される余剰分のホエイ(乳清)を使用。環境に配慮した製品として開発中だという。また教育事業にも関心があるという柴田さん。年に1度、子どもたち向けに開催している「寺子屋」では昨年、モッツァレラチーズづくり体験、蜂の授業、和太鼓の授業などの多彩なイベントを行った。この事業は今後さらに拡充していく予定だ。そのほか老人が活き活き暮らせるビレッジを南房総につくる構想など…夢は尽きない。
「余暇と睡眠を除くと、仕事をしている時間は実に一日の約1/3を占めることになります。30年間あれば、うち10年も仕事に費やす計算になる。お金も大事です。でも、折角やるなら自分や社会にとって意義ある仕事をしたいですよね。これからも社会貢献活動を軸に、私らしく色々な事に挑戦していきたいです」