働き方/子育て work_childrearing

“まちに開かれた保育”という試み

「この部屋は、普段は地域住民の方々に開放してコミュニティスペースとして活用して頂いています」と語る松本さん。「まちのこども園  代々木上原」は 2 0 1 7年4月に開園。レンガや無垢の木材など自然素材を多用した建物、温かみある内装デザインが自由な雰囲気を醸し出す。

小竹向原( 2 0 1 1 年開園)を皮切りに現在、都内に計5か所の保育園・こども園を展開するナチュラルスマイルジャパン株式会社。代表の松本さんは一橋大学卒業。大手広告代理店に勤務した後、友人との共同事業(不動産関連ベンチャー企業の立ち上げプロジェクト)を経て同社を設立した。グループ園に共通して使われる「まち」という名称には、保育園事業の既成概念を打破する教育哲学、開かれた社会づくりを目指す事業理念、そして松本さん個人の深い想いが詰まっている。

児童養護施設でのボランティア 「幼児教育の世界」と出会う

「出身は目黒区ですが、幼稚園の頃に多摩ニュータウンに引っ越しました。自然豊かな住宅地で、当時はとにかく子どもの数が多かった。大勢集まっては虫遊びや秘密基地遊びなど…、自分たちで様々な遊びを考えトライする毎日″。子ども文化〞とでも呼ぶのでしょうか。時には隣町のグループと揉め事が発生したり、今思えば危ない場面も多くありました。しかし大人が決めたルールや規則に従う前に、一定の責任を負いつつ子どもたちだけで、自主的かつ創造的な遊びに挑戦できたことは貴重な経験でしたね。

一方家庭では、会社を経営していた父から仕事に打ち込む姿勢や独立心を、母からは自由な発想や既成概念に縛られない行動術を学んだ気がします。両極端な性格の両親がいる家庭環境で、バランス感覚は磨かれたかな、と。大学では商学部へ進学しました。ただ、卒業後はサラリーマン人生では終わらず、いずれ独立起業するだろう、と漠然と思っていました。父親の背中を見て育ったせいか、将来の仕事を自分自身の生き方=生涯のライフテーマとして真剣に考えていましたね」

大学では仲間と雑誌編集のグループを結成。アートブックやインタビュー誌など本格的な編集物を刊行しカフェの店内に置いてもらうなど、積極的に社会との接点を模索していたという。そんなある日、大学の教授から児童養護施設でのボランティアの仕事を勧められた松本さん。「幼児教育の世界」との最初の出会いだった。

保育的な業界を交えるには  自らの手でモデルを示すこと

「自分自身の根底に眠っていた、本当に価値ある対象と出会えた気がしました。それと同時に、ある疑問が湧いてきた。一般に未就学児(0〜6歳)の年代は、個人の人格形成に深い影響を与える大切な時期。小中高校や大学と比較したときにこの国では、果たして幼児の教育環境が十分に整備されているといえるのだろうか? そんな時、幼稚園と保育園という異なる環境下で育てられた子どもの性格には違いがあるという話を、あるテレビ番組で目にしました。ダブルスタンダードが放置された制度。未来を担う人材づくりへの国のグランドデザインが欠如しているのでは、と。その原因と理由を知らずにいられなくなったのです」

松本さんは大学関係者の人脈を 辿って関連省庁へヒアリングを敢行した。返ってきた答えは(幼児 教育に関わらず一般的に)改革を推進するには、まず政治家か省庁の職員になって制度自体を変えること。しかも結果が出るまでには 相当な時間と労力が必要とのこと。さもなければ、前例をつくること。つまり自分自身の手で保育園を創設して、世の中にモデルを提示することが最も早く確実な手法であ ることがわかった。しかし、父親の会社の倒産など、身辺が慌ただしくなってきたことから「幼児教育を変える」という夢をいったん留保。卒業後に就職する道を選んだ。

「新卒後に大手広告代理店に入社しました。保育園などの関連業界に就職する方向も検討しましたが(保守的な業界ゆえ)内部から変革するのは至難の業だという意見と、俯瞰して社会を見る経験も大事だと思って…。就活時に長期的 なキャリアプランを会社に伝えて いたこともあり、教育関連企業の ブランドマーケティングに携わる機会を与えていただきました。

代理店に勤務するかたわら、保育園への構想は着々と進行させていました。そこで影響を受けたのがレッジョ・エミリアモデル。世界的にも先進的と有名な北イタリア発の乳幼児教育アプローチです。教育はすべての子どもの権利でありコミュニティの責任であるという理念。教育とまちづくりを 同じ次元で捉える彼らの思想は、現在の当園の基本コンセプトに繋がっています」。入社から3年。既に機は熟していたが、退職後にすぐ園事業に取り組むことはなかった。「理念と経営は別モノ。経営は学校以外の実地で学ぶ必要があると考えました」。そして、仲間2人と不動産および建築分野のベンチャー企業を立ち上げた。

2 0 0 9 年、事業が軌道に乗り上場にまでこぎつけたところで同社役員を退職。松本さんは2 0 1 0 年4月、満を持してナチュラルスマイルジャパン株式会社を設立。新たな幼児教育事業の担い手として船出を果たす。当初は、社会福祉法人や学校法人として事業化する方向も検討したが「比較的資金調達がしやすいこと」や「事業展開に自由度があること」などを考慮。株式会社の形態とした。

既存のシステムからの開放  人間の豊かさの概念を変える

「まちの保育園・こども園」の基本理念は「わけない(分けない)豊かさ」というものだ。子どもの存在を社会的に認めること。まちぐるみで子育てに取り組むなど。レッジョ・エミリア教育の思想との親和性が高い。

たとえば園内の「ギャラリー」と呼ばれる空間。園児たちの作品だけでなく、大人たちとコラボレーションした展示物も飾られる。また近隣に住む画家やクリエイターからは作品が寄贈されることも。そのほか園の敷地内にはカフェや コミュニティスペースといった中 間領域が設置され、地域住民同士 が気軽に触れ合い、育児に参加で きる仕掛けが随所にある。

これら多様な人々の橋渡し役を担うのがコミュニティコーディネーターと呼ばれる職員だ。各施設に配された専任スタッフと地域住民が協力して、園をより「地域に開かれた場」にしていく。つまり「園づくり」から「地域(まち)づ くり」へ意識拡大するのが狙いだ。順調に事業を拡大しつつある「まちの保育園・こども園」。しかし課題も少なくないという。

「事業が急速に成長するほどに、組織文化の構築とその舵取りが難しくなる。さらには理想の教育文化や、新しい社会の仕組みなど未来のビジョンを描く作業と、日々の保育の現実を上手くすり合わせていかねばならない…。バランス感覚が要求されますね。まちに開かれた保育は、今ではさほど珍しいものではなくなった。今後、園ではこの考え方をさらに拡張、施設内に限定されない多様な学びの場をつくることを計画しています。最新の I o T 技術や他社とのコラボレーションも活用していきたい。またライフログ的な集合知の蓄積、旅や自然、人々の交流の促進など…。施設内に限らず、あらゆる場所に学びの場を創造する可能性があると考えています」

クリエイティブラーニングとコミュニティ創造の二軸で個人が秘めた可能性を高めていくこと。既存の社会システムから解放された「人間の豊かさ」の概念を無限大にアップデートしていく。「学び」「人」「社会」を縦断した、松本さんの持続可能な社会への挑戦は始まったばかりだ。

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